事業紹介

インタビューMESSAGE

株式会社オズリンクス様

事業者HP
http://8-base.chu.jp/8/
事業所所在地
〒939-2342 富山市八尾町上新町2696-1

企業紹介

富山県の魅力は?
・高い技術力を持った職人が多く、文化水準が高いこと
富山ではどんな企業が活躍出来る?
・職人さんが作ったモノを広く発信し上手く売れる商人気質の事業者さん
・事業をスケールさせるだけではなく地域に貢献する想いがある事業者さん

インタビュー

地方で活躍する事業者の共通点を挙げるとすれば、自社の事業のことだけではなく地域の発展も考えながら事業展開をしていること。
今回インタビューをさせて頂いたのは、富山市八尾で起業された株式会社オズリンクスの原井様。
今や、県内のキーマンとして活躍されておりますが、学生時代はすぐにでも富山から出ていきたかったそうです。
そんな原井様に学生時代から、起業に至るまでのお話を伺いました。

一刻も早く富山を脱出したかった学生時代

まず、原井さんの自己紹介をお願いします。

原井紗友里です。
(富山県)富山市の生まれです。
今、活動のフィールドにしている八尾町の生まれではなく、高校までは富山市内にいました。東京の大学に進学後、中国で4年間、日本人学校で教員を経て富山に戻り、起業し現在に至ります。

築150年の住居を改修したOYATSUで取材を実施

築150年の住居を改修したOYATSUで取材を実施

ありがとうございます。
現在経営しているオズリンクスの事業内容について教えてください。

はい、「観光」「アパレル」「コンサルティング」の3つの事業軸があります。
まず、観光ですが越中八尾ベースOYATSUという観光拠点の運営をしております。
https://8-base.chu.jp/

この越中八尾ベースOYATSUは、明治5年に建造された商人の住居をリニューアルして運営しております。
1日1組限定の一棟貸しの宿泊施設、音楽イベントやワーケーションの拠点などとして利用出来る、レンタルスペース、旅人と地域の人との交流地点としてカフェやシーシャ(水煙草)なども楽しむことが出来ます。

次にアパレルでは、着物をアップサイクルしたアパレルブランド「tadas(タダス)」の販売をしております。
https://tadas.jp/

実は、このアパレル事業はコンサルティング事業で海外に主張した際に、着物をリメイクした服に注目が集まったことがきっかけで、ビジネスチャンスを感じて、帰りの飛行機の中で生まれたビジネスなんです。
今となっては、最も勢いのある事業で、コロナ禍はtadasがなかったら会社が潰れていたかもしれません。

最後に、コンサルティング事業は中国で働いていた経験を生かして、海外への販路開拓のサポートさせて頂いております。

tadasで商品をオススメして頂きました。

ありがとうございます。
富山から東京へ、そして海外で働かれていましたが、やはり地元で起業したい。
と思って戻られたのでしょうか?

いいえ、むしろその逆でした。
高校生くらいの時は、とにかく田舎が嫌で絶対に富山を出ると思っていました。
なんだったら、国境なき医師団に入りたいと思って医学部を目指していた学生です。

なるほど、早く富山を出たかった高校生だったのですね。
ちなみに、なぜ国境なき医師団に興味を持たれたのですか?

中学生の時に「世界で一番いのちの短い国」という平均寿命が30歳くらいのシエラレオネで活躍されている山本敏晴先生の本を読んだことがきっかけです。
ただ、現実的には医学部進学が難しいとなった時に、自分が興味のある分野は何か考えてみました。
その時に思い浮かんだのが、国際教育だったので教育学部に進みました。

ありがとうございます。
東京の大学から中国で働くまではどういった経緯があったのでしょうか。

本当は、東京で就職しようと思っていたのですが、当時の就活生は100社くらいエントリーをするなか、私は5社くらいしかエントリーしてなくて東京での就職は全滅でした。
ただ、実は富山県内の企業もエントリーして内定まで頂いていたのですが、当時の私はこのままだと、富山に戻る羽目になる。と焦り、たまたま目にした海外の日本人学校の教員募集を見つけ、国外に就職できる!と応募し、中国の青島日本人学校への採用が決まりました。

そんな就職の仕方があるんですね。
中国での就職はある種、脱富山への執念的な感じですね。
それから、なぜ富山に戻ってきたのですか?

中国での日本人学校の任期が終えると一般的には、日本に戻って教員を続ける方が多いのですが、せっかく中国語も話せるようになり、コネクションも出来たので、これを活かして仕事をしたいと思った時に、偶然出会ったのが富山県に本社があり、台湾や上海にも支社を出しているコンサルティング会社でした。

8年ぶりの富山は、外国人の人気エリア

そこで、一旦富山に戻ったわけですか?

はい、まずは本社勤務なので一旦富山には戻るのですが、将来的には上海の事務所へ派遣してもらえるという話をしていたので、私としては富山に片足はありつつも、もう片足は上海に足を突っ込んでいるつもりだったので、特に嫌ではなかったです。
むしろ、そこまで富山に長くいるつもりもありませんでした。
ただ、東京の大学で4年と中国の日本人学校で4年、計8年ぶりの富山に戻った時に、富山いいじゃん!なんで、私はあんなに富山が嫌だったんだろう。
と思うようになりました。
また、その当時は新幹線が開通した年でもあり、インバウンド客が多くたくさんの外国人が富山に来ていたのを目の当たりにして、不思議と富山のことを良いと思ってくれているかな。
なんて思うようにもなっており、気づいた頃には富山に愛着が出てきて、富山で挑戦しようと思い立っていました。

一刻も早く富山を出たいと思っていたのが、外に出てからこそ地元の良さが分かったのかもしれないですね。
そんな、県外さらには海外にも出た原井さんから見る富山の魅力はなんでしょうか。

一言でいうと、文化レベルが高い所です。
まず水、そして食などの地域素材のレベルはもちろんですが、アルミ産業や金属加工など高い技術力を持っている事業者がたくさんいらっしゃいます。
富山は職人が多い地域ですね。

事業にとどまらず、地域に貢献するということ

ありがとうございます。
どんな企業さんだったら富山で活躍出来そうですか?

商人なら、活躍出来るんじゃないですかね。
というのも、職人と商人はそれぞれ、役割が違うと思っているのですが、私は自分のことを商人だと思っています。
例えば、私はモノが作れるわけではないですが、良いモノを外に発信する、上手に売るということは得意だと思っています。
富山は、ものづくりが非常に優れている事業者が多いので、商人気質な事業者さんなら活躍するんじゃないかと思います。

ありがとうございます。
最後に、地域で事業展開する企業さんにアドバイスを頂けますか。

まず、地域で事業を展開していくには、ある程度突っ走れる人じゃないと難しいと思います。
当然、地域の受け入れの問題もありますが、地域で事業を展開するのであれば、やりたいことが明確に決まっていたり、ビジョンが明確だったりと強い精神力が必要になってくると思います。
そして、事業をスケールさせるというのも大事ですが、地域に貢献するという思いがある事業者さんなら、上手くいくと思います。
私も八尾で7年間会社を経営してきましたが、とにかくたくさんの方とのご縁に救われています。
よく、挫折したことありますか?と聞かれることがあるのですが、色んな方に助けられているので、挫折と思ったことは1度もないです。
地域で事業展開する時に、最初は難しい顔をする人もいるかもしれませんが、その地域の懐に飛び込む覚悟があれば、そのうち心を開いてくれると思います。
豊かな富山というフィールドで、ぜひ挑戦して欲しいと思っています!