事業紹介

インタビューMESSAGE

株式会社縁溜

事業者HP
https://nonoie.jp/
事業所所在地
富山県中新川郡立山町四谷尾691-4

企業紹介

富山県の魅力はなんですか?
・オワコンに溢れている所
富山ではどんな企業が活躍出来ますか?
・地域課題を解決することで刺激や経験を事業に取り入れたい企業
・新しい手を打たなければと思っている企業
・狂ったように事業を作れる方

インタビュー

富山県に限らず、”地方には何もない”だから人は流出し、出身者は戻ってこないと思い込んでしまっている地域は多いかもしれません。
しかし地方には、まだ気づいていないだけで活かしきれていない魅力(オワコン)が溢れています。
今回は、一棟貸しの古民家宿、ただの里山、廃業した銭湯など地元の素材に新しい魅力を見出して事業展開をしている株式会社縁溜の佐藤さんにお話を伺いしました。

ホラ吹き、道をつくる

まずは、自己紹介をお願いします。

株式会社縁溜 取締役 佐藤将貴です。
一棟貸しの古民家宿「埜の家」、「里山マウンテンバイクツーリズム」、「水橋温泉ごくらくの湯」の運営をしております。

ありがとうございます。
まず、現在の会社を立ち上げた経緯を教えてください。

2014年に陶芸家の妻が地域おこし協力隊として赴任したことをきっかけに、富山県立山町にやってきました。
妻は、赴任中に紆余曲折を経て立山クラフトというイベントを立ち上げました。
▼立山クラフト
https://tateyamacraft.wixsite.com/tateyamacraft
悩みながらも一歩ずつ進む妻を真横で見続け、「本当にやりたいこと」や「生きること」を、強く意識するようになりました。
そして、ある日突然「里山の未来を作る」と、藪道を整備し、宿を運営し、里山冒険事業を立ち上げたら、温泉銭湯を経営することとなり、会社を立ち上げました。



すみません。。。
解説付きでお願いしても良いでしょうか。

はい、すみません。

元々は、機械設備の技術営業職を15年ほど続けつつ、妻の地域お越し協力隊の赴任と一緒に立山町に移住をしてきました。
そして、今いるこの場所(埜の家)は、立山クラフトの全国から集まる出展者や地元の方達との懇親会の場として毎年、使わせて頂きました。
当時はサラリーマンをやりつつ、少しずつ地域のために、里山を活かした何かがしたいと考えはじめ、忘れ去られた里山の奥にどんな古道や歴史、秘境や営みが残っているのか?何度も地域の方と藪をかきわけ調査をしていました。
同時に各地で活躍する地域プロデューサーに会いに行ったり、狩猟免許をとったり、地ビール創りを試みたり、里山や自然資本を活かしたコンテンツを創れないか?と思考錯誤していました。 
そんなある日、どうしたらもっと面白くなるだろう?とよく相談に行く公民館のおじいさんと談笑していると「マウンテンバイク」×『里山」のアイデアが出てきました。
僕はすぐに『マウンテンバイク』を購入し隣県の白馬岩岳に行きマウンテンバイクの面白さを体験=凄い可能性を感じました。
と、同時に僕は、『マウンテンバイクの面白さ』を軸にしたいのではなく、里山の魅力や価値を伝えるために『ツールとして、マウンテンバイクを活かす方法』を思考していました。
岩岳とは植生、環境、景観が全く違う『里山』は、低山で延々と激坂と下り坂が続くため、とてつもない体力が必要なんです。
だから一般ツアーとしては成り立たない。
このアイデアもだめかと諦めかけた時に『Eマウンテンバイク』というものが世にではじめ、試乗した瞬間、『イケる』と直感しました。
EBIKEがあれば、オワコンになった里山にゾッコンを生み出すことができます!スポンサーになって提供してください!!と自治体、や企業にプレゼンしたのですが全く相手にされませんでした(笑)。

その時は技術営業の仕事を辞め、修行として富山県にある、まちづくり会社に入り、そこが運営する一棟貸切の宿で支配人として働きはじめていたのですが、すぐにコロナ禍で宿が休業してしまっていました。
だけど、そこが、まさにチャンスでした!里山の奥地を何度もフィールドワークしたので、古道や秘境が何処にあるか?全て把握しています。マウンテンバイクで里山を巡るときにはオワコンになった『古道』をという里山資本を整備して活かしたいという想いがありました。
ただ、そのためには膨大な時間がかかる、そこに『時間』ができたんです!
1本の古道を復活させるため毎日山へ入り整備を続け、 里山マウンテンバイクツーリズム事業への第1歩として、山道を開拓していきました。

縁を溜める場所

ここで「山道」に繋がるわけですね。
まだ、現時点では「埜の家」は出てきてないですよね。

はい、ここから埜の家の話が始まります。
先ほど話していた開拓していた山道というのは、上市町から山頂に向かう尾根道として使われていました。
僕は立山の人は沢山知っていますが上市の人はほぼ知り合いがいない、途方にくれたとき古道がある地域内に『埜の家』を運営する『前川建築』の大きな旧事務所があったのです。
調べると、上市の古道がある集落内で昔から商売をされていました。
僕にとっては前川社長だけが唯一の地域と繋がる鍵でした。
そこから山道を開拓するにあたり地権者さん、区長さん、議員さんと、重要な方々を紹介頂けましたその時に、自分が今やっていることや、これからやりたいことなどを話していくと、前川社長から「そんな想いがあるなら、ここを宿にするんだけど一緒に地域を盛り上げないか?」と誘われて、埜の家の支配人となります。
まさに古道整備から生まれた『縁』で、僕は前川建築に入社します。

なるほど。
そして、埜の家と里山マウンテンバイクツーリズムの運営をしていくわけですね。

そうですね。
ただ、里山マウンテンバイクツーリズムは自分がやりたいことなので、資金はクラウドファンディングで集め、社内起業をしました。

それから埜の家と里山マウンテンバイクツーリズムは順調に発展していったのですか?

決してすぐに順調というわけではなかったです。
2021年から里山マウンテンバイクツーリズムの事業がスタートしたわけですが、
広告費など出せません、撮れ高があると思ったら取材に来てください!!
というメールを僕がやることなすことを事後報告として逐一色んなメディアさんに送り続けていました。
そうしたら、ありがたいことに方々から取材に来て頂けて、この活動を広く認知して頂いたかと思います。
その動きをずっと見ていてくれたのは、前川社長でした。
佐藤なら、きっとなんとかやるなと思ってくれたのか?ある日ドライブに誘われました。
どこへ行くんですか?と尋ねるとちょっと銭湯に行こうという言うわけですよ。
当然、急になんで銭湯?と思うわけですが、ドライブ中に前川社長から「銭湯をやらない?」と提案されました。

それが、まさかごくらくの湯ですか?

はい、即答で『やります』と言いました。
温泉の話を聞いた瞬間、建築会社×マウンテンバイク事業×さらには『銭湯』???
もう、危険しかないと思うのと同時に、今この話を断ったら人生の中で二度と銭湯をやるという『縁』は来ない。
とも思ったので、とにかくやってみます!!と、即答しました。

その銭湯は、前の所有者が地域のことを考えて多額なお金をかけて作った天然温泉でした。
温泉銭湯の購入や経営を考え、新しく会社を創ってやっていこう!!
ということで生まれたのが、株式会社縁溜です。

なんとなく想像は出来るのですが、なんで「縁溜」という社名にされたのですか?

「エンターテイメント」と「縁」を溜めていくという意味とこの埜の家自体が、縁を繋ぎ合わせてくれる場所でした。
山道を開拓していた時も、里山マウンテンバイクツーリズムの事業が出来たのも温泉銭湯を運営するのもこの「埜の家」がきっかけです。

オワコン→??

ありがとうございます。
ご縁を溜めるというという着想が魅力的ですね。
そんな佐藤さんに事業者目線で見た時に、富山県の魅力を伺いたいのですがどんな魅力がありますか?

オワコンで溢れている所じゃないですかね。

オワコンが富山の魅力ですか?

僕の住む上東地域では小学校が全て廃校となりました。
子どもはバスで地域外の小学校に通っています。
里山は荒れ果てて、若い人も減り地域に限界が来ています。
そんな里山でもEマウンテンバイクを活用し『冒険』から地域を魅せ伝えるという価値を創り出すことが出来ました。
【オワコン→ゾッコン】へ変えることができたわけです。

あえて、少し意地悪な質問をさせて頂きたいのですが、オワコンって富山に限った話ではないと思うのですが。

そうなんですよ。オワコンは全国に、日常に溢れています。
「移住者」というヨソ者の目線でお話しをすると、富山県は自然の豊かさと熱量が体感出来る地域だと思います。
僕は、都市部に住んでいたので地域の景観や自然・時間の流れに『豊かさ』を感じます。
埜の家でも自然の、ありのままを感じて頂けるように運営しています。
さらに、ここ立山町で言えば「立山クラフト」「埜の家」「ヘルジアンウッド」「谷口集学校」など皆さん本当にこの地域に縁が生まれ、狂ったような熱量で事業を作っている人達ばっかり集まって来ているんですよ。
「関係人口」と言って、地域に関わる人を増やそうする動きをよく見ますが、そこに熱量がなかったら何も生まれないんですよね。
狂った人たちが活躍しはじめ、熱量が伝播して新しく狂った人がやってくるという流れができ始めていると思います。


熱量の根源

狂った人達が集まってくる地域というのは、面白いですね。
ちなみに、この流れは何がきっかけで生まれたのでしょうか?

まずは『埜の家』そして次に『立山クラフト』!!
すみません、妻の活動のえこひいきかも(笑)
表面化された時期に順序はあれど、並行して複数のプロジェクトなり事業が生まれて行ったので、きっかけと言われると難しいですが、立山クラフトの影響は大きいと思います。
役場から陶芸活動をしてほしいと言われて移住した当初、地域からは陶芸家としての妻は歓迎されてない空気でした。
地域おこし協力隊だから、陶芸なんてせずに地域の活性化をして欲しい。
と言われ、地域内のコンセンサスが全く取れていないことを知り凄くショックでもありました。
それから、諦めず県内の様々な作家さんに話をして、実行委員会を立ち上げ、ロゴやHPを作りなんとか、第1回立山クラフトが開催出来て65店舗の出店、2日間で約8,000人が立山町に訪れました。
その熱量が集まる場所となった「埜の家」は、少なからず“きっかけ”に近しいものはあるんじゃないかなと思っています。

ありがとうございます。
最後に企業さんへメッセージをお願いします。

立山町には、色んな事業者が集まり、ローカルでリアルな縁が繋がる場所です。
そして、やったことないことというのはトラブル続きなんですが、僕自身が挑戦自体はすごく面白いと感じています。
各社伝統的なビジネスプランがある中で、今の時代何か新しい手を打たなきゃいけないと思っている企業さんってたくさんいらっしゃると思います。
何か地域課題を解決することでその刺激や経験値を自分たちの事業に取り入れたり、そのタッチポイントを探している方は、ぜひ富山(立山町)に冒険に来てください。

『オワコン→ ゾッコン』
作 佐藤将貴(ホラ吹き)

同じ故郷出身の陶芸家の妻のため
縁もゆかりもなかったが
とりま決めた移住先
そんな富山にもう8年、
ゆったりゆっくり里山暮らし
優しい気持ちになれる日々
からだいっぱい感じてます。

それなのに
地域の全ての学び舎があっという間に閉校だ。
若者はどんどんどんどんいなくなり
おじいとおばあがふえてゆく
山は荒れ、田んぼはもうすぐ限界だ。
こりゃあ一体誰のせい?

それ、全部僕のせい。

四季折々にハッとする心地の良さをいただいた。
豊かさがなんだかちゃんとわかってた・・・
なのにずっと自分だけで楽しんだ
誰にも伝えようとしなかった
一人締めした僕の責任。

だから僕は企(つまだ)てる。
忘れ去られる里山が
打ち捨てられる里山が
未来を画く解釈を

この里山は「オワコン」だった
そこへたった一人の移住者が無茶と無謀とホラを吹き、
冒険という「ゾッコン」を生んだ。
日常は、たくさんの「オワコン」で溢れている。
あなたはどんな「ゾッコン」を創りたい?

このゾッコンは

ムダを省き効率や合理の追求する規範から、かけ離れています。
それはつまり全くスマートさがないから生まれた物語。
不確実な未来への「新しい価値」だと言えるのかもしれない。
そう解釈して、僕は「あなた」にホラを吹く

冒険しようスマートの奥地へ、
あなたの未来を見るために。